この遺跡は平安時代(約1,000年前)の集落跡で、竪穴住居6軒、掘立柱建物5棟、竪穴状遺構4基、土坑約300基、ピット約670基が発見されました。
2号掘立柱建物。等間隔に穴が開いてるのがわかります。
建物のだいたいの大きさがわかりますね。
大きな土坑群。はっきりとした用途や時期はわからないそうです。
穴に石がはいってる・・・
この石の上に柱を建てていたようです。
石の上がちょっとツルツルしています。
5号住居。こちらのお宅は、他よりも高価なものが出土したようですよ。
真ん中よりちょっと上の赤茶色のところが カマドの跡です。
こちらから釉薬がかかった陶器が出土しました。
素焼きでないところが、高価っぽい!?
中はこんなかんじです、と担当の生山さん。
6号住居からは、坏・墨書土器・甕 が出土しました。
模様が描かれた坏(つき)
墨書土器。しかし、漢字は読み取れません・・・
貼り合わせると一つの甕になるでしょう。
他にも、土坑から1101年中国で発行された古銭「聖宋元宝」や 縄文時代の黒曜石の石鏃(矢じり)が出土しました。
縄文時代の住居跡などは、この遺跡からは出ていません。縄文人が狩りをした時のものでしょうか?
後田遺跡は、令和元年10月から令和2年2月中旬までの約4ヶ月間の発掘調査でした。この後埋め戻され、特別養護老人ホームが建設されます。
1000年前の生活がわずか4ヶ月だけ現在に現れました。
解説を聞き、さらに北杜市の遺跡に興味をもたれた方もおられるでしょう。
北杜市では、いつもどこかで発掘調査をしています。
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