北杜市武川町を起点に長野県富士見町まで、甲州街道にまつわる場所をたずねました。
街道の一里ごとにつくられた一里塚。
慶長9年(1604)頃、道の両脇に塚を築き、エノキなどを植えたのが始まりといわれています。
北杜市内では現在、塚の形跡は残っておらず石柱が建てられています。
一方、長野県では塚に木が植えられた往時の一里塚の様子が残っており、御射山神戸の一里塚は当初植えられた樹齢380年を超えるケヤキが残っていました。
地名の由来といわれる「教来石」。
二つの石のどちらが「教来石」なのか、資料によっても、地元住民間でも伝承が異なります。
日本武尊伝説や民俗学的な解釈など様々な想像をめぐらせながら、石を観察しました。
天保7年(1836)に発生した農民一揆・天保騒動。
甲州街道を通って市内に押し寄せた騒動衆が突破した山口口留番所跡や、
柱に当時の刀の傷が残る民家をたずねました。
当家に伝わる騒動時のエピソードや大武川地区の変遷の様子などを伺いました。
”柱に残る刀傷”
午後からは台ケ原宿へ入り、田中神社例祭に奉納する「虎頭の舞」を見学しました。
保存会の代表者に、虎頭の舞の由緒や境内にある”虎の彫刻”や”虎石”についての説明をいただきました。
その後、台ケ原宿の旅籠のつくりが残る金精軒2階や、
明治天皇行在所となった北原家(山梨銘醸)主屋の見学をしました。
”行在所””御膳水”建札は現在、北杜市郷土資料館で開催中の企画展「北杜に甲州街道」にお借りしています。